2008年論壇記事(朝日新聞より)
現代思想2008年7月臨時増刊号 総特集=チベット騒乱 中国の衝撃
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最初ごちゃごちゃと内容のないこと書いているなぁと思って読むのやめようかと思ったら、アメリカに留学したチベット人僧侶の伝記の話が引かれていて、それがとても興味深かった。
中国のチベット占領は確かに民族自決権を犯すものだけど、中国統治以前のチベットは封建農奴制が続いており、その農奴制に寄生して成立しているチベット仏教も全く罪のない制度であったわけではなく、中国統治の下で、中国政権を利用しながら、貧しいチベット人知識人がチベットの近代化に乗り出しているという側面もあるという興味深い話が引かれていた。
もちろん、こうした話も中国共産党のプロパガンダの一つなのだろうけど、あまりにチベットやダライ・ラマを理想視しがちな日本の視点をずらす一つの道具にはなりそう。
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山口氏の言うように「誤解だったかなという側面と、やっぱり理解できないという側面」が明確になったいい対談。
意外だったのが、竹中氏は自身が市場万能主義者ではなく銀行などの取締りを強化したと言っている点や日本の古い既得権益構造を改革する必要があると述べている点(この点で両者は一致している)。
ただ、両者を比べれば、竹中氏は経済学の理論を重視してあくまで理論に現実をあわせることをどこまでも主張する(ある意味での)観念論者である一方、山口氏は理論の適用によって悲惨な現実がもたらされているのだから、もはやその理論は失効したとみなしている(ある意味での)現実主義者である。
両者の対立がはっきりするのが労働市場の規制の問題や日本の所得格差の問題である。竹中氏は依然として改革が道半ばだからこそこれらの問題が未解決となっていると主張し、あくまでいっそうの規制緩和を主張している。
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はっきり言ってこの論文は中立的でない。都立大学の語学教員に蔓延する風潮を「悪平等」と述べるなど、実証主義的政治学の役割を大きく逸脱している。
だけど、その点を注意すれば大学改革の内幕暴露としてはとても面白い。
都立大内部の管理当局と教員の関係、教員内部でも「改革派」グループとそうでないグループの関係など、外部からはなかなかうかがい知れない内幕を覗けて面白い。外部から送り込まれた学長はただ理念を述べるばかりで一つ一つの管理・行政プロセスを都官僚に丸投げし、送り込まれた官僚は学者相手ではそれまでの経験が通用せず、教員内部でも改革に温度差がもともとあり、だからといって、「改革派」教授たちの意見と経営側の意見とも一致せず、都立大以外の大学と都立大では改革に温度差があり、改革に反対してやめた有能な教授たちも後ろめたい感情を抱いており、結局、全て中途半端な(むしろ後退した)改革に終わってしまったという話。
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鳩山元法相の死刑執行自動化発言を受けて、行政官が法の支配の原則を逸脱して、大臣によって恣意的に死刑の執行数に差が出るようなことがあってはならないという趣旨の論。
はっきりいって井上達夫ってもうボケちゃったの?とでもいうべき暴論。
法哲学者なのに悪法問題(その裏返しとしての自然法・ラートブルフ原則の問題)や法解釈問題(法と法の解釈の間には大きな深遠が通っている)すらも忘れてしまったようです。
法務大臣は政治家でもあるのだから法を超えた判断をすべきときもあるはずのことすら見落としている。
もし井上の論が正しいのなら、アイヒマンは法哲学的に全く瑕疵のない人間に思えますが。
なんかもう井上達夫にはがっかりだなぁ。
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(特に日本の)デモクラシーにとって、自立した個人の析出の障害となるとして危険視されてきた「集団」の問題を、現在の個人化がすすみ連帯すらままらない現状では、再び価値を見出すべきではないかという論考。
デモクラシーの共和主義型モデルと多元主義型モデルという区分けは、なるほど頭がすっきりしました。もちろん、国家への権力集中を阻止するため集団を重視する多元主義型モデルの重要性とともに、中間集団の抑圧を排除する共和主義型モデルも重要だろう。