恋愛とかね。くだらね。

昨日NHKスペシャルで女と男の違いを脳科学から見るという番組がやっていた。特に今回第1回目は恋愛をしているとき脳がどのように動いているかを脳科学から見るという特集だった。

こういう「最新の脳科学が明らかにした男女の違い!」的なものはなんとなくいかがわしいトンデモ科学の匂いが濃厚で、特に男女の違いを狩猟採集時代の男女の役割の違いに基礎付けたりするところが特にそうなのだけど、そのことは今日の日記の本題ではない。

この特集のなかで「男女の恋愛は3年しか続かない」ということがフィーチャーされていていて、ではどうしたら恋愛を長続きさせられるか、ということが話題の中心になるのだけど、そのことも今の自分にとってはどうでもよい。

私が気になるのはそもそも「男女の恋愛は3年しか続かない」ということである。だって、私は8年前に好きだった人のことが未だに好きで引きずっているのだから。これは脳科学的にはどういう状態なんでしょうか。

その人は、私より2つ年上で、演劇好きな、日本国籍をもたない在日韓国人の女性で、独特な感性というか勘のよさを持った不思議な魅力を持った女性だった。

私は彼女に一度告白し振られ、しばらく会わなくなってからまた会うようになったころ、彼女のほうから一緒にイタリアに行かないかと誘われ、二人で旅行したした仲である。旅行中、病気にかかってしまいそういう気分になれなかったのが大きいけど、旅行中に彼女とセックスしなかったのは、私は彼女のことがとても好きだったので、彼女とセックスしてしまうと、セックスの後急に気持ちが冷めてしまうのが怖かったからというのも理由のひとつである。好き過ぎるとセックスができないというのも、男にはありうるのである。それがひょっとしたら近親相姦的な恐怖に基づいているものかもしれないけど。

私が最初彼女に惹かれたのは、当時、ナショナリズム論に関心を持っていたのがあって、在日韓国人という人たちはどのようなアイデンティティを持っているか興味があったからである。
彼女は私のそうした下世話な社会学的理由からの、研究対象としての関心からの好意を、多分あまり気持ちよく思っていなかったのだと思う。でも、彼女の独特の魅力がどこから生まれてきたかを考えると、家業が焼肉店であり、商家特有の気さくな点と、一家で団結して商売を営むことから来ていると思われる家族思いな点などは、彼女の家の由来と切り離しがたく魅力を作っているように感じた。

私などは、日本国籍を有し、ちょっとばかりペーパーテスト能力があったばかりにあるお金持ち有名中高一貫校に通っていたこともあって、青年期に左翼思想に触れてからも、自分の出自や育ちから地金が出て保守化するのじゃないかという恐れを常に抱いていて、揺るぎなく左翼思想と自分の体感が一体化するアイデンティティを持った人に憧れていて、その点で、在日韓国人であり、政治にも少し関心がある彼女に憧れていたのだと思う。

加えて、彼女のほうが年上であったという点も、彼女を好きになった理由の大きなひとつだと思う。
これに関しては私は未だに理由がよくわからない。母親の影響が良くも悪くも大きすぎて、年上に思い入れが大きくなったのだとか、インテリは年上を好きになる傾向があると言われたこともあったし、自分の劣等感を包み込んでくれる母性のようなものを求めていたのかもしれないとか、いろいろ考えるけど。

あと、彼女は演劇など感性的なものが好きだったというのも理論偏重の自分にはない特徴で、そうした感性的なものを持っている人への憧れは大きくあったと思う。

彼女のほうは私のほうからのそうした過剰な思いいれを、少し嫌がっていたのか、それとも重荷に感じていたのか、今でも彼女の気持ちはよくわからない。
でも、一度彼女に振られてからは、彼女のことをそうした属性からではなく、ありのままに見つめようとした。その結果、一緒に二人で海外旅行に誘われる仲になるまでには信頼されるようになったのだと思う。

結局、旅行後にどうしても好きなんですとメールで告白したところ、ちょっと考えさせてほしいといわれ、どうしても返事がかけないと言われ、返事がないまま今の状態にいたり、8年間もうほとんど会うこともなくなった。

今となっては、メールで告白したという告白の仕方が悪かったとか、彼女の属性への思い入れからの好意を彼女は嫌がったとか、セックスしなかったのだって要するに自分に自信がなかったからだろ、とか、結局都合のよいキープ君として使われたのだとか、日本人と付き合うことに怖れを抱いていたのかとか、いろいろ考えるのだけど、彼女が何を考えていたのかわからなく、考えても考えても答えは出ないまま8年が経過し、しかもそれ以来好きな子もできないまま。

今は、なぜその子にそんなにこだわっているのかわからない、こんな状態でいるのはつらい、あの子よりいい子なんているのか、いやもう女の子なんて関わりたくない、女なんて嫌いだ、そもそも今はもうセックスが出来る体の(というか心の)状態じゃないし、とぐちゃぐちゃどろどろした感情がとぐろを巻いている状態となっている。

あるいは私にとって彼女は、おそらくミランクンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』の中の、フランツにとってのサビナみたいなものかな、と考えることもある。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

考えをまとめて字にすることによって、少し症状が軽くなるというある種の談話療法は、大学院の時につらかったことをまとめてみたこの日記の第二回目のエントリーで経験しているので、ここでもまたやってみた。何か思い出すことがあればまた書き足していくつもり。