昨年の収穫
年末にtimmy regisfordというハウスの大御所らしい人のイベントにいったのだけど、やっぱり自分はセンス的には凡庸なのか、重低音がキツくてどうも体に音楽がついていけず、風邪をひいてしまう始末。
年末年始は風邪をひいてダウン。
昨年の収穫といえば、やっぱり
- 作者: 佐藤嘉幸
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2008/08/01
- メディア: 単行本
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バリバールの下で博士号をとり、日本人によりフランス語で日本より先に出版されたという事情も素晴らしい。
個人的には、デリダとラカンの関係が明晰になって非常に勉強になったし、何よりアルチュセールを理論家として復活させた意義はとても大きいと思う。
翻訳の成果としては、
- 作者: アントニオ・ネグリ,杉村昌昭,信友建志
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2008/09/30
- メディア: 単行本
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もともと別の翻訳家が翻訳を準備していて挫折したらしいけど、それを1年で翻訳し直したというスピードも素晴らしい。
個人的に再発見した著作としては、
- 作者: エルンスト・ブロッホ,池田浩士
- 出版社/メーカー: 三一書房
- 発売日: 1982/05
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そんなことを考えていたら、なんと昨年末この本の新訳版が水声社から出たみたい。
- 作者: エルンストブロッホ,Ernst Bloch,池田浩士
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2008/12
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文学関係では、田村隆一の詩に夢中になった。
一篇の詩が生まれるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ見よ、
四千の日と夜から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した聴け、
雨のふるあらゆる都市、溶鉱炉、
真夏の波止場と炭鉱から
たった一人の飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴こえざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない
- 作者: 田村隆一,青木健
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1999/02
- メディア: 単行本
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音楽関係では
perfumeのアルバムGAMEがやはり最大の収穫だった。
- アーティスト: Perfume,中田ヤスタカ
- 出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
- 発売日: 2008/04/16
- メディア: CD
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特に、アルバムの中のpuppy love
という曲は素晴らしい。
絶対的な信頼と 対照的な行動
絶望的な運命が ある日恋に変わる
一方的な表現の ツンデレーション キミが
好き わかりにくいね
2008年論壇記事(朝日新聞より)
現代思想2008年7月臨時増刊号 総特集=チベット騒乱 中国の衝撃
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2008/07/15
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最初ごちゃごちゃと内容のないこと書いているなぁと思って読むのやめようかと思ったら、アメリカに留学したチベット人僧侶の伝記の話が引かれていて、それがとても興味深かった。
中国のチベット占領は確かに民族自決権を犯すものだけど、中国統治以前のチベットは封建農奴制が続いており、その農奴制に寄生して成立しているチベット仏教も全く罪のない制度であったわけではなく、中国統治の下で、中国政権を利用しながら、貧しいチベット人知識人がチベットの近代化に乗り出しているという側面もあるという興味深い話が引かれていた。
もちろん、こうした話も中国共産党のプロパガンダの一つなのだろうけど、あまりにチベットやダライ・ラマを理想視しがちな日本の視点をずらす一つの道具にはなりそう。
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/10/10
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山口氏の言うように「誤解だったかなという側面と、やっぱり理解できないという側面」が明確になったいい対談。
意外だったのが、竹中氏は自身が市場万能主義者ではなく銀行などの取締りを強化したと言っている点や日本の古い既得権益構造を改革する必要があると述べている点(この点で両者は一致している)。
ただ、両者を比べれば、竹中氏は経済学の理論を重視してあくまで理論に現実をあわせることをどこまでも主張する(ある意味での)観念論者である一方、山口氏は理論の適用によって悲惨な現実がもたらされているのだから、もはやその理論は失効したとみなしている(ある意味での)現実主義者である。
両者の対立がはっきりするのが労働市場の規制の問題や日本の所得格差の問題である。竹中氏は依然として改革が道半ばだからこそこれらの問題が未解決となっていると主張し、あくまでいっそうの規制緩和を主張している。
レヴァイアサン(42号) 特集:ポピュリズムの比較研究に向けて
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はっきり言ってこの論文は中立的でない。都立大学の語学教員に蔓延する風潮を「悪平等」と述べるなど、実証主義的政治学の役割を大きく逸脱している。
だけど、その点を注意すれば大学改革の内幕暴露としてはとても面白い。
都立大内部の管理当局と教員の関係、教員内部でも「改革派」グループとそうでないグループの関係など、外部からはなかなかうかがい知れない内幕を覗けて面白い。外部から送り込まれた学長はただ理念を述べるばかりで一つ一つの管理・行政プロセスを都官僚に丸投げし、送り込まれた官僚は学者相手ではそれまでの経験が通用せず、教員内部でも改革に温度差がもともとあり、だからといって、「改革派」教授たちの意見と経営側の意見とも一致せず、都立大以外の大学と都立大では改革に温度差があり、改革に反対してやめた有能な教授たちも後ろめたい感情を抱いており、結局、全て中途半端な(むしろ後退した)改革に終わってしまったという話。
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鳩山元法相の死刑執行自動化発言を受けて、行政官が法の支配の原則を逸脱して、大臣によって恣意的に死刑の執行数に差が出るようなことがあってはならないという趣旨の論。
はっきりいって井上達夫ってもうボケちゃったの?とでもいうべき暴論。
法哲学者なのに悪法問題(その裏返しとしての自然法・ラートブルフ原則の問題)や法解釈問題(法と法の解釈の間には大きな深遠が通っている)すらも忘れてしまったようです。
法務大臣は政治家でもあるのだから法を超えた判断をすべきときもあるはずのことすら見落としている。
もし井上の論が正しいのなら、アイヒマンは法哲学的に全く瑕疵のない人間に思えますが。
なんかもう井上達夫にはがっかりだなぁ。
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(特に日本の)デモクラシーにとって、自立した個人の析出の障害となるとして危険視されてきた「集団」の問題を、現在の個人化がすすみ連帯すらままらない現状では、再び価値を見出すべきではないかという論考。
デモクラシーの共和主義型モデルと多元主義型モデルという区分けは、なるほど頭がすっきりしました。もちろん、国家への権力集中を阻止するため集団を重視する多元主義型モデルの重要性とともに、中間集団の抑圧を排除する共和主義型モデルも重要だろう。
文科系トークラジオLife
http://app.blog.livedoor.jp/dsakai/tb.cgi/51118590
の紹介で文科系トークラジオLifeがネット配信されているのを知って聞いたら、とても面白い。
http://www.tbsradio.jp/life/20070604/
特集テーマは「運動」ということで、スポーツの運動ではなく、ムーブメントの運動が特集。
素人の乱の松本哉や都知事選の政見放送で有名になった外山恒一などが出演し、新しい社会運動のあり方を討議。
特に、part6と外伝2は必聴。
兄妹でおっぱいパブに勤めている人にも届く言葉で政治を語るべきだ、という意見に対して、ファシスト外山氏は「そういう人には選挙権を与えてはいけないと思う。」と述べたくだりは、最大の山場だと思う。
この番組、名前は知っていたけど日曜夜中という時間がネックで聞いたことがなかったけど、これから注目してみよう。
それにしても浅野いにおが描く女の子ってかわいいなぁ。
水村美苗「日本語が亡びるとき」
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久しぶりに現代作家の本を読んだ。
第1章の、世界中から作家が集まって大学で教えるというアメリカの試みを描写した部分がとても面白くて、つい買ってしまった。
各方面で話題の本だが、評価の難しい本だと思う。
日本近代文学を海外文学と比較しても決して引けをとらないと述べるあたりは、日本人のナショナリズムをくすぐる。
また、日本語の運命などという壮大なものに思いをはせるのは、自分が知識人にでもなった気がして、何か語らずにはいられないといった欲望をせきたてる。(その意味ではこのブログもこの本の効果といえる。)
だが、内部ポストコロニアル的な視点に立てば、この本はいろんな意味で脇の甘い本だという印象がする。
そもそも、近代国民国家としての日本が成立したゆえんから遡及して、近代日本文学が古典文学から遺産を引き継いで成立したことを言祝ぐというのは、逆転しているというか、そもそも古典文学と近代文学の間にそんなに一貫性なんてものが存在するのか?と疑問を持つ。
言語の発生については何だか怪しいなぁ〜という感じを受けた。
また、インターネットの影響力を過大視しているんじゃないかという感じもする。インターネットの普及によって英語の<普遍語>としての地位が万全となったのは確かだと思うけど、それによって<国語>としての日本語の地位まで脅かされるかどうかまでは、なんとも言えないんじゃないだろうか。例えば、検索エンジンは各国言語用にカスタマイズされていることもあるわけだし。
あとまぁ、日本近代文学ってそんなにすごいものなのか、という疑問を持つ立場もありえると思う。個人的には漱石は好きだけど、本文中にジョン・アップダイクが英語で読むと漱石の凄さが全然わからない、と言っているというエピソードが引かれているのも見られるわけだし。(自分からみたら英文学なんてどれもこれも面白いものとは思えないのと同様なのだろう。)
だから、同じように、日本語なんて滅びたっていいじゃないかという立場もありえると思う。これは極論だろうか。
でも言語の持つ美的側面なんて、あるのかないのかなんだかよくわからないものだし。翻訳では伝えられない各言語に特有の美的感覚なんてあるのだろうか。
日本語が滅びるままに黙認しているのを良しとせずとしても、この本で主張されるその対策は、いろいろいと誤解を生みやすい、というか、いろいろな読み方が可能な曖昧なものだと思う。エリートに対しては英語を書ける能力の強化を、一般人に対しては近代文学の熟読を、という対策を主張していると私は読んだけど、ネット上では主に前者ばかり読み取って主張されているような気がする。なんかグローバリズムを利用・喧伝する人たちが、ナショナリズムを癒して温存させる姑息な手段を見つけた、と騒いでいるみたい。
現代日本文学がくだらない、という指摘にはまったく同意。というか、現代の日本に文学なんてあるの?まさか村上春樹とか言い出さないよね。
まぁ私も外国に行って外国語だけに囲まれて暮らしたら、日本語が恋しくて苦しいだろうなぁとは思う。
構図としてはコミュニタリアニズムの問題かな。
この本と柄谷行人の本は同じ問題を共有していると思う。
- 作者: 柄谷行人
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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またまた哲学的認識と政治的実践の問題について
人を非難するのに匿名でやれっていう批判は初めて受けたよ。
普通はその逆で、匿名批判は卑怯だ、っていうのをよく聞くのに。
はてなダイアリーを始めたのはたまたまです。
そしたら注目エントリーで東氏VS常野氏の事件を見つけて、これは常日頃考えていた問題だったので、コメント&日記に書きました。
稲葉氏等を非難するためにわざわざそんなめんどくさいことするか。
現代思想2008年12月臨時増刊号 総特集=メルロ=ポンティ 身体論の深化と拡張
- 作者: 河本英夫,宮本省三,西村ユミ,丹生谷貴志,松葉祥一
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2008/12/12
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宇野氏の論文がメルロ=ポンティの政治哲学を扱っているかなと期待したけど、実態はクロード・ルフォールの紹介で終わっていて残念だった。
メルロ−ポンティは「身体」の哲学から「肉」の哲学に移行することによって、共産党やスターリン主義に対する立場を変えたということを聞くので、哲学的認識と政治的実践の関係性がここ数年のテーマである自分としては、現象学が理解できないし興味もわかなくても、メルロ−ポンティは気になる存在だったのだが、この論文では彼の「肉の哲学」というのが何なのか結局説明がなかったなぁ。
だから核心部分には迫っていないという印象。
哲学的認識と政治的実践がリンクするということがありえるのか、個人的には肯定的な回答を期待しているのだけど、ローティの言い分もわかる自分としては懐疑的な部分もある。
金田氏の本でも今度読んでみるか。
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昨日NHKでやってる爆笑問題の学問?とかいう番組に姜尚中が出ていたのでボーっとみていたら、背景に「コーネル・ウエスト来日!」っていうポスターがあってびっくりした。
調べてみたら今年の5月に来日していたのね。
何でブログ界隈で誰も話題にしないんだよー!
絶対聞きに行ったのにー!
学問と人格的誠実性、あるいは理論と実践という問題について
http://www.hirokiazuma.com/archives/000470.html
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081214/p1
人格的にはどうしても尊敬できない人がいて、でもその人は悔しいことに自分に比べれば自分が目指している同じ分野で圧倒的に優秀なことを認めざるを得なくて、しかも世間的な評価も高くて、というか自分なんてその人に比べたら何者でもなくて、それに比べたら人格的な問題なんて弱者のルサンチマンに過ぎないんじゃないかとすら思えてきて、悪魔に魂を売り渡してまでもその分野で何事かを成し遂げたいと思ったのに、そんな取引ですら詐欺にあって結局魂を売り渡しただけで、その人に比べればマシだと思っていた人格の問題でもどんどん悪化していって、というか向こうの方が世間的に評価が高いということはたぶん実際事実問題として人格的に本当に優れているのは向こうじゃなんじゃないかという思いもして、ということは自分の評価と世間の評価は違うことがわかるわけで、だから世間の人々が嫌いになって、こういう風にしてどんどん事実的にも人格的にも悪化していって、確かに今友人も恋人もいないということは人格的にまずい人間だということを証しているわけで、友人もいないともう救いようもなくなってきて、人と話すやり方や付き合う方法ももうだんだん忘れてきて、たまに人と関わるときは段取りを飛ばすから必ず怒らせる結果になって、そうすると被害妄想気味になって結局世の中の人みんな俺のこと嫌いなんだろとまで思うようになってきて、頭を抱えて人生か世界かはやくどっちか終わらないかなとか考えてしまう。